「愛ってなに! 裁判って何!」

 
大阪地方裁判所 執行官   菰 渕  泰 (こもぶち・やすし)
 

<はじめに>
 はじめまして、ただ今、ご紹介いただきました菰渕です。
 大阪地方裁判所で執行官をしています。
 裁判所に勤めていると言うと、裁判官ですかと人から尋ねられます。
 裁判所というと、裁判官とまず思われるのでしょう。
 しかし、裁判官と言うのは、会社で言えば、部長みたいなもので、裁判官だけでは裁判ができず、事務官、書記官など多くの職員がいます。
 会社で言えば、営業の社員がいなければ、売上が出来ないのと同じです。

<守秘義務>
 はじめに、お断りをしておかなければならないのですが、私たち公務員には守秘義務と言うものがあって、仕事上で知りえた秘密は喋ってはいけないことになっているのです。
 したがって、公になっている書物や文献に書かれていることしかお伝え出来ないことをご勘弁ください。

 
<裁判所>
 次ぎに、裁判所ってどんな所でしょうか。
 事務局と、裁判部があります。
 裁判部には、民事、刑事、または、家事、少年などいろいろあります。
 事務局というのは、総務課、人事課など、民間の会社と同じです。

 
<裁判官>
 裁判において、判断する者として存在するする裁判官ってどんな人でしょうか。
 裁判官にはいろいろな人がいますが、すごく頭の良い人たちです。
 小さい時から、学校始まって以来の頭脳明晰な人も珍しくありません。
 だけど、こんな人もいるかも知れません。
 あなたの学校でいたすごく頭の良い子だが、勘の悪かった子、そんな子が大きくなって裁判官になっているかも知れません。
 もし、そうだとしたら、裁判では、あなたはどう主張、発言するべきでしょうか。
 ここまで言ったから、はっきり言わなくても分かってくれるはずと言う考えは通 用しません。
 きっちり、はっきり、包み隠さず言わなければ、分かってもらえません。
 それが、裁判であなたの権利を護るコツだと言われています。

 
<姫里の町>
 私が育ったのは、大阪市内の姫里町という所です。
 教会の鐘が朝昼夕の三度、街に鳴り渡り、それで一日が動いているという所でした。
 今日は、その小学校の教頭先生のご子息が来ておられて、懐かしく、また嬉しく、姫里の町のことを想いだしていました。

 
<信仰>
 私は、社会人になってのち、母の持っていた信仰を持つようになりました。
 人生に悩んでいた時に、当時、私の住んでいた町の近くの教会でゴスペルコンサートがあり、歌が好きな私はそれを聴きに行きました。
 ゴスペルといっても黒人の人が歌うようなゴスペルでなく、高校生が歌っていたものでした。
 音楽的にはがっかりしたのですが、彼らが歌っている方(イエスという方)が深く心に残りました。
 その時にもらった聖書を読み、イエスが神の子であることが分かりました。
 理性的に、知性的に理解出来たのでした。
 後に不思議な出来事を通して、イエスが死んだ方でなく、今も生きた神であり、今も私たちの人生に働きかけておられることが分かりました。
 いわゆるボーン・アゲインを体験したのです。

 
<執行官>
 執行官という仕事は、あなたがたが裁判で勝った時に、それを実効あるようにするために、民事上の結果 を実現するために強制力を伴って行う仕事です。
 動産の差し押さえ、いわゆる赤札を張るものです。
 また家の明け渡しなどがあります。
 その一方で、担保に取った土地や建物を競売して、その代金を支払いに充てるために現況調査(だれがどのように使っているか、また不動産の状況がどうなっているかなどの調査)をする仕事もあります。

 
<強制力>
 いずれも、強制力を背景に持っていて、一定の要件のもとに、解錠して立入ることもあります。

 
<イエス様の神学校>
 私の今の仕事は、客観的には相手にとって厳しい仕事ですが、私の内面からすると、神が私に課された神学校であり、聖書に書かれている貧しい人と言うのが、具体的にどんな人か、私に教えて下さっていると思っています。
 債権者の権利を護ることは当然として、債務者の正当な権利も護ることも公務として当然であり、それに関係する人々の権利、時には住居の平穏というものをも護るべき必要があります。
 生活信条として。
 イエス様を通して人を見、その人の背後にイエス様を感じて、円満な執行を心がけています。

 
<最後に>
 私が聖書のなかで、特に、心に残っている言葉を読ませていただいて終わりにしたいと思います。

 
「天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。(イザヤ書55章9節)」

 以上