ニュース 第 4 号 (2000・12)
初めて参加させて頂きました
安 井
浩 平 (自営業・元兵庫県警勤務)
小形真訓さんの本を購入した時、キリスト教書店のかたからVIP神戸のチラシを頂き、今回初めて出席させて頂きました。顔見知りもなく、不安な気持ちもありましたが、受付で暖かく迎えて頂き、その場の雰囲気にすぐとけ込むことが出来ました。会場も明るく、それにもまして、参加者の誰もの顔が明るかったのが印象的でした。40年近い公務員の生活から一転して、家業(日用雑貨店)を継ぐこととなり、ビジネスのことは全く分かりませんが、今回、玄さんの経験豊かな講演を拝聴し、神様から任された仕事と受け止め、信仰者として祈り求めていくならば、必ず道は開かれると言う、確信に満ちたお話に感動を覚え、勇気づけられました、プログラムも趣向を凝らして頂き、和やかな進行に天国を見る想いでした。初めての人でも、何の違和感もなく、交流出来そうですので、周囲の人をお誘いしたいと想います。
島田裕巳(しまだひろみ)著 「ローマで王女が知ったこと」
を読んで
VIP神戸・会長 石丸武史
毎回100名前後の方に出席頂いておりますが、今回も100名の方に出席頂きました。皆様のご支援を心から御礼申し上げます。また、引き続きご感想やご意見を賜りますようにお願い申し上げます。
さて、宗教学には人生の節目を通して学ぶ「通 過儀礼」と言う講義があるそうです。通過儀礼には分離、移行、統合と言う段階があるとのことです。著者は、映画「ローマの休日」をこの通 過儀礼を通して見てみると改めてその作品の素晴らしさが判ると言っています。 こうした場合、主人公の成長を描く為には、主人公が精神的に未熟で、その境遇に不満を持ち、そこから脱したいと言う気持ちを持っていることを表現する必要があります。
アン王女は招待客に気を使わなければならない舞踏会が嫌でたまりません。挨拶を受けている最中に、長いスカートの中で靴を弄び脱げてしまうシーンがありますが、彼女の反抗が実に上品に表現されています。通
過儀礼では今までの状態に別れを告げる段階を分離と言いますが、ここを通過した主人公が同じ状態に戻らない時に新しい世界が開けます。オート三輪に隠れた王女は閉まって行く門扉を見つめながら宮殿を出て行きますが、これが分離の象徴です。また、王女が宮殿に戻って来る時には、この門扉は閉まったままになっており、同じ道のように見えて、実際は全く違う道を王女が歩み始めた事を示しています。王女は宮殿から脱出し、「たった一日の休日」が始まりますが、この段階が移行です。ここで主人公は時間的な制約と闘いながら各種の試練と冒険を体験します。王女もたった一日と言う制約の中で各種の冒険を体験します。王女のタバコもその象徴で、越えるべきか、越えざるべきかの葛藤にケリをつけながら大人の世界へと移行して行きまです。王女は乱闘騒ぎのあと、海に飛び込んで追っ手をかわしますが、海からあがった時に生まれて初めての熱いキスを経験します。宮殿に戻る車の中でも同様のシーンがありますが、芽生えた愛を振り切り、宮殿に帰って行く王女の姿には葛藤を乗り越えた者のみが体得する清々しさが感じられます。特に、お付の者に「祖国と王家に対して義務があればこそ戻って来ました」と宣言する姿、また、最後の記者会見で、王女がその役割を自分の使命として受け入れた姿を見る時、気品と威厳を感じます。これが統合の段階です。私はこの映画を通
して、たとえ苦しくとも葛藤を越えなければ真の平安はなく、自らの心を明け渡す決意を経なければ、真の喜びがないことを改めて強く思わされました。人には越えるべきものと、越えてはならないものがあり、しかも、その判断は自分自身が行わなければなりません。そして、こうした時に影響を与えてくれる人の存在は極めて大きなものがあります。