「VIP神戸」に期待 衆議院議員  土肥隆一

 VIP神戸が順調なスタートが切れたことをうれしく思います。 第1回の例会も盛大に開かれ、第2回目では私がスピーカーとして、ご用をさせて頂きました。この会もすばらしい会となりました。皆様が祈って準備をし、最善を尽くして来られました。主は豊かに応えて下さったのです。

  私は、実は本会の準備の段階、個人的には選挙の準備をしていました。 第1回の例会は6月20日開催されたのですが、その5日後の25日は総選挙の投票日ですから、まあ、とにかく駆けつけて、会が大成功であることを確認して、また戦場に戻りました。皆様にお祈りを頂き、4期目の議席を与えられました。 私はVIP神戸の顧問をさせて頂いておりますが、このVIP運動には相当な思い入れがあることを述べさせて頂きます。この活動がキリスト教信仰に基づいて、神の働きの豊かさを各自の具体的実践の中から確認しようというものだからです。

  そこでもう少し具体的に述べますと、第1に、VIP活動は現代人、特に仕事の最前線で活躍するサラリーマン、ビジネスマンの方々への精神的サポートをしようとするものであります。悩む現代人に手を差し伸べますが、それは私たちに悩みや問題点が無いと言うことではありません。 私たちは共通の悩みを持っているのです。しかし、私たちは問題解決の糸口を持ち、結局はイエス・キリストへ帰着するという回路に居るものですが、それが直線的に備えられるものではなく、直ぐに伝達できるものでもありません。 VIPのあらゆる機能は十字架の救いを指し示すものですが、その過程、プロセスを大切にするということです。それはカウンセリングの方法論に近いと申せましょう。つまり一緒に回答を探す生き方です。

 第2にVIPは信徒運動ということです。牧師や神父といった専門家は正面 に出ません。むしろ陰になって温かく見守ります。教会の働きは豊かな機能を持っておりますが、人はそう簡単には教会の門をくぐらないのものです。牧師が対応しても全て成功するものではないのです。それは牧師が初めから教会とか宗教を背負っておりますから、人々は当然警戒も、遠慮もするのです。 その点信徒は平等の立場に立つことが出来るのです。同じ高さの目線に立って、共通 のことばで語り合うことが出来るのです。実に豊かで個性的な方法論が展開出来るのです。

 第3に、注意すべきは、成功した者だけが勝利者ではないということです。信仰を持つ勝利者は常に謙遜です。その成功は普遍的ではないということです。むしろ敗北者への深い配慮と援助が必要です。信仰的には勝利者より神に近いといってもいいのです。

 第4に、VIPは自分のことばで、自分の存在を掛けて語ります。聖書のことばにしても、救いの体験にしても、借りたことば、教会用語の羅列ではなく、自分の体験と思考で伝えます。VIPは祈りつつ、伝達の方法を研究することが必要です。

 第5に、VIPの活動は教会において完成するということです。人は教会の交わりに導かれて、教会の配慮に与って信仰は正しく導かれるのです。教会の訓練なしの信仰は土台のない家を建てるようなものです。教会は信じる者が信仰の完成に向かって歩むように導きます。キリスト教は豊かな生活を私たちに許します。にもかかわらず、長いキリスト教会の歴史は信仰の完成が教会にあることを証明しているのです。