「加齢することの素晴らしさ」
VIP神戸スタッフ 川崎栄子
阪神高齢者・障害者ネットワーク 介護福祉士、ケアマネージャー
垂水神の教会教会員私は、1951年青森の片田舎の貧しい農家の娘として生まれました。家庭環境は複雑で、何よりも辛かったのは父と母がいつも喧嘩ばかりしていたことでした。そして、小学校の頃、言葉がスムースに出て来ず、今は誰も信じてくれませんが、人と話すのが本当に苦手でした。
高校卒業と同時に単身で上京し、会社勤めをしながらの一年後、夜間専門学校のロゴス英語学校と出会いました。そして、3年間の求道生活の後、23歳の時に洗礼を受けさせて頂きましたが、一方的に与えられたその恵みは、家族への憎しみが嘘のように消えたことと、心の底から喜びで満ちあふれたことでした。
次に、「神様、私のこの喜びをあなたのために使ってください。私はあなたのために何が出来るのでしょうか?」と、主の働きを求めました。そして、25歳の時に老人福祉の道が与えられました。
また、その頃、属していた日本キリスト教団の東京4区の一つ、北支区の連合青年会を再び立ち上げることも示されました。と言うのは、60年・70年の安保闘争以降、社会運動に走って、ばらばらになっていた青年を再び教会に取り戻したいと願ったのです。そして、その働きの中で韓国を訪問する機会が与えられ、ちょうどその時、関西から韓国を訪問していた夫と出会いました。その後、神の教会の世界大会に、3人の子供を伴い、家族で韓国を訪問出来たこともおきな感謝でした。
私には何一つ誇れるものはありません。一方的に与えられたものばかりです。聖書の中で、「世の無力な者を選ばれました」(第1コリント1:27)]とあるように、誰一人、神の愛から漏れている者はありません。そればかりか、このような者を選んで用いて下さるのです。そして、「あなた方の内に働いて御心のままに望ませ行わせておられるのは神であるからです」(ピリピ2:13)とあるように、一人一人、すべての者を導いて下さっているのです。
私は、ライフワークとして、今も、老人福祉の問題に関わりを持たせて頂いていますが、25歳の時に、老人福祉の道に進んだ頃は、教会の方も含めて、「いい働きをされていますね」と傍観者的な人がほとんどでした。
「若くて、きれいな貴女がよりによって、どうしてお年寄りのオムツを替えているの?」と言われていたのです。今はどうでしょうか。選挙の時、政治家は福祉を語らなければ当選出来ないと言われています。しかし土肥隆一先生のような実践家は非常に少ないのです。
2000年、記念すべき大聖年の年に介護保険がスタートし、やっと国民総福祉の世紀に入りました。長い間、いわゆる、寝たきり(寝かせきりが実態ですが)老人と言われる方々に関わらせて頂き、私自身、「介護を受けての長生きは辛いなあ、しかし、身内としては寝たきりでも生きていてほしいと望んでいるし、どうしたらいいのだろう」と、老いることの重さを噛みしめていました。
そして、そんな折、尊敬してやまない日野原重明さんが、今、時の人としてよくマスコミにも登場していますが、2年前にメ新老人の会モを作って下さいました。75歳から晴れて正会員になれるというのです。「今まで新しいことを出来なかったことを、年を重ねた今、やりましょう。今まで、やって来たこととは全く違うことを始めましょう」と薦めておられます。「人生の最終章、生き生きとより良い生き方上手になれる」と仰っています。90歳になってなお日々創造的な生き方をされているのです。
私は40歳まではがむしゃらに生きて来ましたが、ふと力を抜いた時、全てのものに、イエス様のことが分からないお年寄りの方にも、主のみ恵みが現されていることが分かるようになりました。
神様は、正に、弱い所(弱者と言われる老人や障害者)に働かれる方です。お年寄りがどれ程素晴らしいかは、全身全霊で、自分で分かるしかないのです。私たちクリスチャンも同じ人間です。「ほかの人はイエス・キリストのことではなく自分のことを追い求めています」([ピリピ2:21]とあるように、ほかの人とは、他でもなく私自身だったのです。
だからこそ、「互いに相手を自分より優れたものとしなさい」(ピリピ2:3)そして、「自分のことだけでなく他人のことにも注意を払いなさい」(ピリピ2:4)と教えて下さっているのです。
出来ない自分を、主と共に歩みたいと、いつも願っています。「主は人の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を備えて下さる」(詩篇37:23)とあり、ただ主を信じ、大好きなお年寄りと共に日々楽しく過ごして行きたいと望んでいます。そして、「キリストの日に誇ることができるでしょう」(ピリピ2:16)を信じて歩んで行きたいと存じます。