「結婚の証し」   (2002年5月25日・青谷ルーテル教会にて挙式)

                   佐金 世津子
                       (VIP神戸クラブ・元スタッフ)

 「不思議!」これは結婚された方がよく口にされる言葉ですし、私もその不思議なことが一体どのように私の身に起こるのかと、心待ちにし、楽しみにもしていました。

 私は結婚するならクリスチャンの方と、決めていました。そのように、神様に祈っていましたし、結婚に関する本もたくさん読んでいました。 しかし、いざお話が具体的になると、なぜか逃げ腰になってしまうのでした。 彼に会う何ヶ月か前に、私は「本気で」結婚を求める祈り、そしてその結果 を神様に「ゆだねきる」祈りへと導かれていきました。そして、そういうお話があったら、逃げないで祈って可能性を求めてみようと密かに決心していました。

 同じ頃、私は読んでいた聖書のある一節が目に留まりました。
「・・・あなたがたのうちの勇士は、みな編隊を組んで、あなたの同族よりも先に渡って、彼らを助けなければならない。主が、あなたがたの同族にも安住の地を与え、彼らもまた、あなたがたの神、主が与えようとしておられる地を所有するようになったら、あなたがたは、主のしもべモーセがあなたがたに与えたヨルダン川のこちら側、日の上る方にある、あなたがたの所有地に帰って、それを所有することができる。                                       (ヨシュア記1章14、15節)

 その頃私は、自分よりも年下のクリスチャン女性たちと、新たな共同生活を始めようとしていました。ですから、この聖書の言葉によって、神様がそれを後押ししてくださっていること、またその責任を全うした後で、何らかの「所有地」を与えてくださったことが確信できたのでした。

 彼とは2000年の12月に初めて会いました。クリスチャンは男性を兄弟、女性を姉妹と呼び合います。同じ神様の子どもとされるからです。私は彼と兄弟であることを嬉しいと思いました。しかしそれは、まだ恋愛感情とは程遠い親近感でした。彼はその時、関西にいる大勢の方にお世話になったので、帰ってからお礼のメールをいくつかしたためました。
その一つが私に宛たもので、それに私が返事をしたことから交際はスタートしました。
やがて交際が深まっていき、楽しい時間をすごす一方で私の心には結婚対する不安や、はっきり決断できないももどかしさが募り始めました。

 それは、私が学生時代に経験した、イエス様を救い主として受け入れるときの心の動きに似ているなあと思いました。彼はとてもまっすぐに私を愛してくれました。 しかし、弱い私はそのような彼の愛に信頼しきることができませんでした。
でも、イエス様と歩む人生が今まで祝福に満ちていたように、同じイエス様を見上げながら、彼と歩む人生も神様はあふれんばかりの祝福を与えてくださることを、私は今、信じています。

 「わがたましいよ、主をほめたたえよ。主の良くして下さったことを何一つ忘れるな。
主は、あなたをすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、あなたのいのちを穴から贖い、あなたに恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる。 あなたの若さは、わしのように新しくなる。(詩篇103編2〜5節)」